短編小説

湯たんぽ

[【湯たんぽ】第一幕~老人の死~]
湯たんぽ工場の工場長、斎藤源吉が古い日本家屋造りの秋田県の自宅の、[はり]からぶら下げたロープで、力無く垂れ下がって発見されたのは、今からちょうど6ヶ月前の真冬のある日である。
日頃から、需要のなくなった湯たんぽに変わる商品の生産受注に息詰まっていたことから、まず自殺に間違いないと判断され、そのまま当たり前のように、[時代の流れにかなわなかった、一老人の死]を哀れんで、今日まで人々は過ごしてきたのであるが、ここへきて、不可解な事実が浮上してきたのである。
信心深かった源吉が、先祖の墓参りに行く予定が、源吉の自殺したとされる日の五日後の手帳に、さも重要行事であるかのように、記帳されており、その三日前出発の新幹線の切符も見つかったのである。
妻の芳枝が「一段落し、気持ちに整理がついてから…」と、手付かずのまま、生前の状態を保った源吉の部屋を、6ヶ月経った今日、部屋を掃除していて見つけたのである。
人々は「これから自殺する人が?」と首を傾げ、秋田県警に再捜査を依頼するが、捜査当局は取り合わず、「切符を買ったとは言え、突発的自殺という事もある」と一向に腰を上げようとはしなかった。
その事に腹をたてた源吉の遺族は弁護士をたて、秋田県警に抗議しようと、一ヶ月に渡り足を運んだのだが、門前払いと同道巡りで疲れ果てていた。

 

[【湯たんぽ】第二幕~貞彦~]
故斎藤源吉氏には子供が三人いた。
長男の敬一は、下火の湯たんぽ工場を継がず、東京でエアコンの会社に就職し、今では副社長にまでなっている。
長女の理香は敬一とは年子で、同じく東京に就職し、社長秘書から、見事に玉の輿に昇格、今では夫人扱いで、実家には寄り付きもしない。
次男の貞彦は二人とは九つ離れていた。その為か、他の二人とは少し違う性格で、二人に比べどことなく暗く、豪華な暮らしとは無縁で、もうすぐ三十路になろうというのに、秋田の実家にこもっていた。
その貞彦が実家を出ない理由の一つに、周囲の目から見ると、母親に対する愛情が考えられた。
幼少の頃から母親と手をつなぎ、散歩する彼の笑顔は、普通の親子のそれとは、違ったものであった。母親といる時の、貞彦の隠微な、優越なるその笑みには、一種異様なものがあった…。

 

[【湯たんぽ】第三幕~芳枝の半生~]
妻、斎藤芳枝の半生は不遇であった。
二人姉妹の次女として生まれる。芳枝の姉は、いわゆる才色兼備であり、常に話題の中心であった。
一方の芳枝は、容姿も学校の成績も中の上と言ったところで、性格も控え目過ぎることから、徐々に引っ込み思案な暗いタイプの子になっていった。
その為、学校でのイジメにもあい、家に帰ると姉と比べられ、叱責される毎日であった。
芳枝はどんな辛い境遇であっても、誰にも何も言わなかった。自分が何かを言えば、「姉に嫉妬しているのだ」とか、「性格を変えれば?」などと言われ、かえって傷つくことになるだろうことを感じ、何も言えなかったのだ。
芳枝が大学の入学試験を受験しようかという頃、姉は結婚をした。
姉の結婚によって、裕福ではなかった芳枝の家庭環境では、とても芳枝の大学受験の費用までは工面することはできないとの理由から、芳枝は大学受験を受けることすら許されなかった。
「お金さえあれば…」
そう考えた芳枝は、高校卒業と同時に上京し、年齢をごまかして、ホステスを始めた。
学生時代、華やかな世界とは縁遠い芳枝は、戸惑いながらも何とか、素人っぽさが客にうけ、そのての客に稼がせてもらえるようになって行った。
 

[【湯たんぽ】第四幕~影~]
夜の世界で生計をたてていた若き日の芳枝の店に、ある時、仕事の得意先の人物と飲みにきていて、芳枝に本気でアプローチしてきたのが、斎藤源吉であった。源吉はその頃から工場長であり、バリバリ働くその真面目さと、そこそこ築いた財力、に圧倒され、芳枝が源吉に引っ張られるように、付き合い始めるのに時間はかからなかった。
こうして、源吉と結婚までに話が進んだ芳枝は、劣等感にさいなまれた少女時代とは、まるで変わり、お金にも恵まれた幸福この上ない状況に、胸がいっぱいであった。
そんな自分の半生を振り返り、我が子の教育にも反映させていたのかもしれない。
特に、次男の貞彦の性格には、少女の頃の自分を見る事が出来たため、気のおきようも、はた目には異常であった。
ある時は貞彦をいじめた学校の生徒の家に、半狂乱で押し寄せ、その加害者生徒と親に土下座をさせたり、貞彦を連れて買い物に出た際、成績のあまりよくなかった貞彦を横目に見ながら、嫌味を言った他の生徒の母親達の中に、凄まじい形相で入って行き、やはり半狂乱で猛抗議をしたりと、尋常ではなく貞彦を愛護する芳枝がいた。
こうして、貞彦は更に芳枝を頼るようになり、芳枝は過保護になっていき、歳を経た今も、秘密めいた、どこと無く隠微な関係に見える二人になっていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[【湯たんぽ】第五幕~不可解な逃走~]
故斎藤源吉氏の妻、芳枝はこのところ、人影に怯えていた。確信のない人影なのだが、「自分に付きまとっている」と感じていたのだ。
漠然とだが、約三週間前から[それ]を感じていた。しかし…[それは]突然現れた。
秋晴れの心地よい日に、貞彦と近所に散歩していた時である。自分達の後に例の人影を感じ、突き止めようと足を止め、後を振り返った。
しかし、誰もおらず、また歩き出そうとすると、貞彦が「ヒッ」と息を飲んだ。その瞬間、芳枝が振り返ると、スーツ姿の男が目の前に立っていた。芳枝は一瞬身構えたが、男はひるむ事なく、口を開いた。
「斎藤芳枝さんですね?」
「どちら様でしょう?」
「私はこう言うものでして…」
手渡された名刺には、[私立探偵事務所 岡嶋探偵事務所 所長 岡嶋康介]と書いてあった。
「はぁ…探偵の方が私に何か?」
「実は、あなたの亡くなった旦那さんの事で、私の事務所に依頼がありましてね。」
「と、おっしゃいますと?」
「依頼主を明かす事は出来ないのですが、どうやら、その…他殺の可能性があるのでは?という事でして…。」

「そんな馬鹿な…もう、もうほっといていただけませんか?気持ちの中で、自殺であったと、もう、整理したことなので。」
芳枝がそう話すと、貞彦が何かに怯えるように、走り去った。
「いけない!」
岡嶋が後を追おうとするが、貞彦は住宅街を駆け抜け、見失ってしまった。

[【湯たんぽ】第六幕~真実~]
貞彦が不可解な逃走をしてから、二日目の朝、芳枝の捜索願により、秋田県警が動いた。あの時の岡嶋探偵ももちろん、捜索に手を貸した。
「あの子にもしもの事があったら、あなたのせいですからね!」
芳枝は赤く腫らした眼を吊り上げ、岡嶋探偵に喰ってかかった。
そんな時、その[もしも]の事態が現実になった。貞彦は変わり果てた姿で、川に浮かんでいた。
一人の刑事が芳枝に歩み寄り、顔の確認を求めた。
「あの橋から飛び降りたようです。遺書も見つかりました。」
顔を確認した芳枝の喉笛が、引き裂かれんばかりの悲鳴が、辺りに響いた。
貞彦の遺書にはこう記されていた。
「母さん、僕が父さんを殺したんだ。ごめんね?母さん。」
「貞彦ーっ」
泣き崩れる芳枝に岡嶋探偵が歩み寄り、耳元で
「奥さん、貴女は何かを知っていますね?貴女が貞彦さんの事を思うなら、貞彦さんの為にも、貴女の口から、真実を言わなければ…このままではあまりにも、貞彦さんがかわいそうだとは思いませんか?」
その言葉を聞いた芳枝は、泣き叫ぶのをやめ、悲しそうな目を見開き、そこにいた、岡嶋探偵や刑事の前で告白を始めるのだった。

 

[【湯たんぽ】第七幕~告白~]
「私が…私が殺したんです。」
芳枝の言葉に、その場が騒然となる。しかし、声を震わせながら、芳枝は告白を続けた。
「私が…私が夫の斎藤源吉を殺しました。結婚したら…いいえ…新婚当時の彼の財力は、お下がりの服や、学校に進学することも許されなかった、幼い頃から憧れでした。でも…財力だけではなく、確かに…確かにあの人の気持ちを心地よく、受け止められたから。だから結婚したつもりでした…。でも…時代遅れの湯たんぽ作りで、どんどん財力を感じなくなった頃…トラウマ…でしょうかねぇ?嫌だ。そう思ったんです。私はもう、辛い思いをしたくなかったんです!そう思ったら、殺してました。それをあの子に見られたんです。そして…茫然とする私に、あの子は…僕も手伝うから、吊して、自殺に見せようって…もう、私も歳…若くありませんから…不安だったんです。すごく、不安だったんです!」
岡嶋探偵が口を開く。
「貴女は、そんな理由で…そんな理由で旦那さんを殺したんですか?貴女と息子さんと、旦那さんで力を合わせれば何とかなったかもしれない…。お金だけの為に?…」
「あなたに私の気持ちはわからないわ!私は…また…惨めな思いを…したくなかったのよ!」
「じゃあ、貞彦さんの気持ちはどうなる?貴女をかばおうと、自殺までした貞彦さんの命は?お金では買えなかったはずだ!」
「貞彦っワーッ」
そう叫ぶと、芳枝はその場に崩れた。

 

[【湯たんぽ】最終幕~失ったもの~]
牢獄の中の芳枝はやはり、目立つこともなく、淡々と作業をこなし、気の遠くなるような長い一日一日をすごしていた。
いたって、他の囚人ともめる事もなく過ごす彼女は、一見、模範囚のようではあるが、何かを封印し、心に鍵をかけてしまったかのような、今の芳枝の表情は冷徹なものであった。
気が付けば牢獄の中で年を越し、ちょうど、夫源吉を殺害してから一年が過ぎようとしていた頃、秋田県の真冬の寒さが、牢獄の冷たいコンクリートをいっそう冷やしていた。
そんな中、芳枝は風邪をこじらせ、肺炎にかかっていた。警察の医療施設にうつされることを拒んだ芳枝は、熱にうなされながら、愛する息子、貞彦の名前を牢獄の中で、何度も言っていたという。
断末魔の病床で、凍える芳枝を温めようとしていたのは、湯たんぽであった。芳枝は最期に、皮肉にも、我が手にかけた源吉の作った、湯たんぽによって温もりを得る事ができたのであった…。